近畿地方で震度6弱の地震、鬼のような豪雨、命に関わるほどの猛暑、立て続けにやってくる台風。
特に4日の台風21号はすさまじかった。
なのに、間髪入れずに今度は北海道の大地震。
他にもあったっけ?
多すぎて覚えてられない。
順番も合ってるんだかどうだか。
一体何がどうなってるの?
どこで暮らせば安心して暮らせるの?
台風21号は、築不詳のわが家には脅威だった。
「家が飛ばされる~~っ!!」
“ 三匹の子豚 ”の長男の気分だ。
そしてほんとに屋根瓦が2枚吹っ飛んだ
真下に落ちた瓦が 玄関の天窓直撃
家の中で私の一番のお気に入りの場所
ええ風に言えば “お玄関ホール”が・・・
水浸しに~!!
落ちてくる雨漏りの間隔が「ぽたっ ぽたっ」ではない
ボタボタボタボタ~ッ!
もはや 外!
しかも同じ場所から落ちてこない
5分ほどしたら 違う場所からボタボタボタボタ
なのでここから離れられない(T_T)
午後2時頃、豊中に住む長女のマンションが停電になる。
高層マンションはポンプで水を屋上に汲み上げているが、長女のマンションは三階建てなので断水は免れた。
続いて、午後2時半頃、近くに住む次女の家が停電に。
その頃、うちもパッパ、パッパと照明がせわしなく点滅を繰り返す。
いつ停電になるかわからない状態に、一つしかない避難袋を押入から出してくる。
雨戸も閉めて、エアコンも切れた家にいる孫が心配になる。
こちらに避難させようにも、風が強すぎてアルソックしに行けない。
(うちでは、次女の家の手助けに向かう時は「アルソックしに行く」と言っている)
「風が弱まったら迎えに行くから、それまでがんばれ!」と次女にLINEでエールを送る。
夕方4時過ぎ、まだ外は安全な感じではなかったけど、風がおさまるまで待ってられない。
私が重しになって助手席に乗り込み、車で孫たちを迎えに行った。
7月の豪雨の時も、桂川が氾濫しそうで避難指示が出たので、うちに避難させた。
この夏二度目の避難である。
2時間半ほど蒸し風呂みたいな部屋にいたので、孫たちがお風呂上がりみたいな頭して、薄暗い部屋から出てきた。
でも、今までにない環境で、影絵などしてそれなりに楽しい時間を過ごしていたらしい。
お隣の人に「電気ついたら連絡して」とお願いして、わが家に向かう。
うちも玄関水浸しやけど、明るいし、涼しいし。
ここよりは環境ましやろ。
娘婿が7時頃帰宅した際にも、まだ停電のまま。
娘婿もこっちに避難。
急なことなので、「店屋もんでもとりましょう」となったが、お店が軒並み休業。
「スーパーで出来合い買ってくるわ」と車で出たが、お正月以外無休の大型スーパーが2軒もお休み。
「しゃあない、コンビニでお弁当でも買おうか」とローソンに立ち寄ったら、片側のドアが強風のため木っ端みじんでダンボールで塞いでいる。
あちこち看板が外れたり、外壁が崩れてたり…、「うちの雨漏りなんて被害のうちにはいらんわ」と思う。(業者さんにお金払う時になったら「大きな被害やった」と改めて実感すると思うけど。)
いつも営業しているお店が全部シャッターを閉めているし、人も歩いていないし、街が暗ーい。
違和感満載の住み慣れた街、不気味~。
結局、長女の家は翌朝6時に、次女の家はその日の午後9時前に電気が通じた。
関西電力、必死に頑張ってくれてるけど、まだいっぱい停電中みたい。
北海道もえらいことになってしもたし、早よ電線を地下に埋めてもらわなあかんな。
電気なかったら、ほんとになんにもできない。
翌日は、台風一過のすがすがしい朝。
明るくなって、家のあちこちが大変なことになってるのを発見する。
誰かんちのトタン板
庭のシュロチクが折れかけ、よそのトタン板が散乱し、うちの物干しが吹っ飛び掛けた形跡(木製の柱が大きく斜めになっていた)があり、家の前は木の葉とペットボトル(近所の自販機のゴミ箱が転がった)が散乱していた。
かくして、私はノコギリとトンカチとほうきを両手に(一本足らん)、一日中後片づけに終われたのであった。
ほんとにほんとに、もうこれ以上災害が起きませんように!!!
誰も大きな怪我をせず、もちろん亡くなりもせず、家も壊れず、財産も失わず、心穏やかに暮らせますように!!
ほんま、もう勘弁して~!